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Column

ワーク・ライフ・ハーモニー?

2010.11.15

先日の「人事の学校 アドバンスドゼミ」は、「ワークライフバランス」を取り上げた。

非常に興味深く有意義な内容となり、議論がとても深かったと思う。
そもそもバランスとは何か、仕事とは何か、働く意味は?という問いかけであったり、バランスがとれるようになるために、個々人は何をすべきか、会社は何をすべきか、実際いま何をやっているか、今後何をしたらいいのか・・・・。様々な意見が出た。

そこで思ったが、僕が「ワーク・ライフ・バランス」という言葉に違和感を持つのは、この「バランス」という言葉だということだ。

Work-Life Balanceは、「仕事と生活の調和」と訳されるとされている。

しかし、「Balance」とすれば、日本語にしたらふつうは「均衡」だろう。

このバランスという言葉からくる「均衡」というイメージが違和感なのだ。

「調和」ならばわかる。仕事の充実は生活を充実させる。逆も然りだ。
だから、ここではあえて、「Work-Life Harmony」としよう。

ところで、ワークとライフの関わりや割合、それこそバランスの価値観はひとりひとり違う。家族を優先とする考え方もあり、また、仕事の充実が家族のためになるという考え方もあり、家にいないで仕事をしていた方が家族が喜ぶという状況もあろう。

そう、ひとりひとり違うのだ。そこに人事制度的なものをあてはめるのにも違和感がある。

一律の概念ではない。ひとりひとりの価値観だ。

だから、制度的なアプローチより、思想的な、「ひとりひとりの要望に対して、柔軟に対応できるような考え方、対応」をしていくということが大切だろう。
制度なんかなくても、ひとりひとりに会社が向き合って、その価値観にあった働き方を選択させてあげられる余地があればよい。

ということはいいが、しかし、しかしである。

その仕事に対するスタイルを「選べる状況」になるためには、やはりそれなりに「プロフェッショナル」「その人の価値」がなければ難しいだろう。

そしてそれは、ある時期、「がむしゃらに働く」ということによって得られるものではないだろうか。

いわゆる「下積み」であり、「丁稚奉公」の期間だ。どの分野にもあるだろう。一流の人はその時期をみんな経ている。貴重な期間だ。
そしてその時期に「ワークライフバランス」を持ち込むのは、僕はいかがなものかと思っている。

その時期を経たからこそ、ワークライフハーモニーなりバランスなりを獲得できるようになるものだと思う。

会社に制度がなくたって、場合によっては正社員じゃなくたって、自分自身で働き方・生き方を選べるようになれれば、そういう人が増えれば、もっといい世の中になるような気がする。安定性を会社に求めるのではなくて、自分自身に求められたら、ほんとうのワークライフハーモニーが実現できると思う。

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