コラム
積み上げと洗い替え
イチローが言っていた。
安打数は積み上げで減らないからいい。打席に立つのが楽しみになる。増えるから。
打率は減るから、打席に立つのが嫌になる。
だから安打数。
人は誰でも、ポジティブなものが増えていくのはうれしいものだろう。充実感をもつ。貯金もそうだ。
人事制度は長く積み上げ式だった。いわゆる年功序列がそれだ。
バブルはじけて以降、それではなく洗い替え式がもてはやされた。
積み上げ型は、給与の高止まりを招くから悪だという考え方だ。
どんなもんだろうか。
給与が下がる仕組みは必要だ。パフォーマンスと給与は比例しているのが理想であり、中長期的に下げることもできる仕組みは作っておくべきだ。
でないと、仕事をしないのに給与が高止まりしている人のために、その周囲は著しくやる気を失うからだ。
賞与は会社業績に連動させるべきものであるので、洗い替えでよいだろう。毎回ゼロリセットでいい。
でも、年収のすべてが洗い替えだとどうだろう。イチローにとっての打率だ。
基本給が毎年洗い替え式で、たとえば社員の半数が毎年いくらかでも給与が下がるとしたらどうだろう。実際そういう人事制度はよく見かける。
そういう状況で、社員は前向きに働けるんだろうか。鞭打たれて仕事しているように感じないだろうか。打率が下がったらどうしよう、って思わないだろうか。
月給が1000円下がって、年間12000円の減給によるモチベーションのダウンは、12000円より小さいだろうか。
月給が1000円上がってもたいしてモチベーションは高まらないかもしれない。でも1000円下がって失われたモチベーションとの差はものすごく大きいと思う。
合理的な制度と人の気持ちは違う。
給与を上げ続けなさいと言っているのではない。年功序列を肯定しているのでもない。給与が下がるべき人は下げるべきだと思う。
ただ、積み重なるもの、少しずつでも増えていくもの、という前提があって、例外として下がるという運用が大切なんじゃないかと思う。能力は高まるのだから。
要は、安打数と打率をうまく組み合わせて運用しようということだ。そこが運用の妙だと思う。だから、人の気持ちを考えた実際の運用をイメージしないと人事制度は作れない、ということだ。