コラム
ベターとベスト
営業時代、求人広告を売っていたんだけど、めでたく受注すると、広告の原稿を制作担当に作ってもらって、お客様にご確認いただくという工程に至る。
そこでお客様に言われたこと。
「西尾くんさあ、この案に至るまでにどのくらいの案を考えたのかなあ」
「いくつか考えたのですが、これがベストだと考えてご提案しております」
××・・これがいけなかった。
制作担当が同行していたので、彼もいろいろ考えたのであろう、ということもあり(実はあまり確認していなかった)、ついうっかり「ベスト」という言葉を口に出してしまったわけだが・・・。
「あのさあ、何十案、何百案考えたか知らないけど、ベストなんて絶対あり得ないと思わない? 考えた案を全部持ってきて見せてよ」
という、厳しい展開となった。
制作担当は、数案考えていたようだけど、そこは一度引き下がって、次のアポイントで10案ぐらい持っていったかと思う。
お客様が言いたいことは、「ベストなんておこがましい」ということだ。
せいぜい「ベターだろ」ということだ。
そのお客様はハウスメーカーの方で、営業のご経験もあった。つまるところ住宅というのも、決してベストなんかはない。何通りも提案内容があって、結論が明らかに見えるものではないのだ。
おっしゃる通りだ。
それ以来、ベストという言葉は極力使っていない。いくつかの選択肢の中で、ベターであると判断することはあったとしても、それが「最も優れているとは限らない」と思うべきだと考えてきた。
人事制度だって、採用だって、人事の世界にだって「ベスト」なんてない。ベストと言ってしまうことは、きわめて謙虚さに欠けると思っている。いくつかの選択肢を絞って、「ベター」を選んでいるに過ぎない。ひょっとしたら他にもっといい方法があるかもしれないんだ。
そこを承知の上で、それでも選択はしていかなければならない。
でも、「ベストではないかもしれない」と思っていることが大切だと思う。