コラム
お休み?
今日は久しぶりのお休み?
とはいえ、単にアポイントがないというだけで、仕事がないわけではない・・・。たまっている書類仕事、企画書、人事制度の資料づくり、各種手続、決算などの事務作業の時間を確保するために、どうしても空けなければいけなかったというだけ。
とはいえ、マイペースで仕事ができるのはよい。
とはいえ、やっぱり何にもしない日が欲しい。思えば、GW前からずっと毎日仕事してるぞ・・・。
あー温泉一人合宿したい! 考えなければならないことがたくさんある。
それで思ったんだけど、ワークライフバランスという言葉は嫌いだけど、体は会社にいなくても、アタマがどれだけ仕事のことを考えているのか、という観点は大事だろう。
知的労働の世の中なんだから、単純に会社にいた時間とか、体が仕事をしていた時間だけを取り出しても意味がないと思う。
やっぱり、高い付加価値を生み出している人って、体は休んでいても、アタマはぶんぶん回っているんだろうな。先週、アタマが高速回転になって夜眠れなかったけど、もし会社員だったら、それって労働時間なんだろうか。
違うよね。
家に体があっても、仕事のことを考えている時間って人によっては長いと思うし、アタマが回転していると、体力もそうとう使っているはずなんだよね。それは労働時間じゃないの?
子供と遊んでいる日曜日にも、仕事に関するヒントを得たりすることもあると思うけど、これも労働時間じゃないの?
何が言いたいのかといわれると、自分でもまだ整理できていないんだけど、今の「労働時間」というものに対する画一的な考え方では、ほんとうの労働時間って計れないんじゃないだろうか。というか、労働時間を計ろうというのがそもそも今にマッチしていないんじゃないだろうか。
もちろん、体を長時間使う仕事が続けばよくないだろう。肉体の労働時間は制限したほうがいいだろう。それから「やらなければならない仕事、人に言われてやりたくないのにやらなければいけない仕事」というものは、減らす方向にしたほうがいいだろう。強制的な労働はよくない。
でも、アタマの労働時間は、計れないし、区別がつけられない。でも本質的に大事なのはアタマがどれだけ汗をかくか、ということになってきているのは間違いがないわけだから、とにかく単純に「労働時間を減らす」という論議はどうなのかなあ、と思うということ。
先日ある会社の役員さんと話したけど、やっぱり「ひとかどの人たち」って、若いころに、馬車馬のように働いていた人たちで、そうだからこそ今があるって。
働きたい人ってたくさんいると思う。それを一律に残業制限とかしちゃうのはどうなんだろうか。
日本は相対的に弱くなっているんだから。
労働時間についてのご相談はとても多く受ける。サブロク協定以内に残業を抑える、とかだけど、月30時間(年間360時間)って、一日1.5時間ぐらいだよね。ベンチャーだったら、そんなの当たり前だし、大手企業だって、価値を出す人たちはものすごく働いている。そうなると、どうしても建前になっちゃう。残業を減らすって、体が会社になければいいわけ?
体が会社にあってもなくても「アタマ」で労働しているときってあるし。だったらカラダが会社にあったって、家にあったっていいじゃん。
肉体の労働については、36協定の範囲内で・・・。とかにしたほうがいいようにも思う。
なんか、いい方法ないですかね。(ずいぶん話がそれた気がするし、まとまってない気もする。失礼しました。こういうのは、コンピテンシー上、「コピーセンス」がない、と判定される)