コラム
結果がわかる仕事の・・・
価値は下がっていくと思う。「誰が行っても同じ結果になること」を求められる仕事。
情報の価値は下がっていて(ネットを見れば氾濫している)、知識の価値も下げっていて(同)、知恵の価値は上がっているといわれる。知恵は、情報や知識の組み合わせであり、問題分析や判断が求められるところに価値がある。
で、結果がわかる仕事、誰が行っても同じ結果を求められる仕事、については、安くそれができる人、地域、国があれば、そこに移ってしまう。
仕事って、まず自らが新たな価値を創造する物事を見つけて、価値を発揮し、仕組みにして、可視化して誰でもできるようにして効率化し、極限まで効率化してコストを下げていく、この繰り返しだ。
もちろん仕事に貴賎はない。ただ、昔は、結果がわかる仕事でも、それができる人が少なければ価値があった。商品サイクルが長いから、その価値は比較的長く有効だった。でも今は世の中の動きが速いからあっという間にその価値が陳腐化する。
結局、アタマを使って知恵を搾りだし、より大きな価値を生むにはどうしたらいいんだろう・・ということを考え抜かなければいけないということ。
だから、人事で言えば、例えば給与計算ができる、というのは一定の価値があるけど、それを間違わずにするということは大切なことだけど、同じことができる安い給与の人がでてくれば取って代わられるだろうし、アウトソーシングもある。その仕事の付加価値を探さないと自分の給与を上げることができない、ということになると思う。
ただ、結果がわからない仕事、というのはしんどい。考え抜いても、仕事にいくら時間を費やしても、成果が生まれるとは限らないからだ。無駄になるかもしれない。
でもこの無駄をすることなしに、新たな価値を見出すことはできない。
だから、ワークライフバランスって言葉が独り歩きするのは嫌なんだね。ライフの時間にも少なくともアタマは次の価値を作ることに費やされていないと、価値創造ができないから。しんどいけどね。